マスクと身体或いは文明

と言う訳で、阪神間は通勤電車のマスク着用率が90%以上である。しかし、布マスク、サージカルマスクとも、効果は感染者の飛沫拡散の防止であって、予防効果はない。本気で予防したければハードタイプのN95マスクと使い捨ての手袋・ガウンが必要だが、そんな格好は見かけない(中核病院の発熱外来くらいである)。


従って、マスクを着用している人は、自分が感染している可能性が高いと考えているか、少なくとも客観的にはそのように判断される。だとすると、既に心理的には人口の過半数が感染する歴史的大流行であるということになる。
しかし、医学的にはそうではないことも明らかである。


だとすると、マスクを着用している大多数の人は、

  1. 自分が感染していると錯覚しているか、
  2. そもそも自分が感染している(可能性が高い)かどうか判断する能力がないと判断しているか、
  3. 単に周囲の行動を模倣しているか、

いずれかであろう。
1.は心気症だが、器質的なものというよりはイメージの伝播による社会的なものだろう。3.は哺乳類に広く見られる現象だが、特に日本文化圏では強く働く作用である。
一方、2.は自分の身体感覚への不信を意味している。身体とは(身体として分離する限り)遂に捉え得ないものであるから、その不信は根拠のあるものだが、他方で身体とは私自身であるのだから、身体感覚をどこまでも研ぎ澄ましていくことが可能である。そして、自分の身体について自ら知り責任を引き受ける状態こそ文明であり個々人としては文明人としての大人であるということではなかったか。
また、3.も自分がそのように判断されるということに無自覚であるのだろうか。


無論、不信に基づく恐怖を埋め合わせるためにマスクを着ける自由は制限され得ないが、それは心気症を主張する自由と同レベルである。かつ、それは真に必要とされる医療現場への供給を阻害することで危険そのものを増幅させているが、それを無視する自由も必然的に行使している。
文明とは(良い意味でも悪い意味でも)身体の管理であるが、個々人が自らの身体を知ることによってそれぞれに文明でない限りは(つまり、大人でない限りは)、皆文明の家畜でしかない。生存戦略としての被家畜化の有用性は否定しないし、私自身も常に或る程度は家畜であるとしても。




追記:無論、マスクをした方が感染し難いのは確かだろう。しかしそのレベルでリスクを云々するなら未来永劫マスクを着用しなければなるまい(飛沫感染するのは新型インフルエンザだけではない)。炎天下でも忘年会でも毎日着用する覚悟の上ということであれば、是非頑張って頂きたいものである。