森山大道と桑山忠明@国立国際美術館

  • 写真のtechnology orientedなところによって、写真は時間性、時代性の中にある。そして、写す限りにおいて意味し、意味され続ける。容易に無限に撮影することができる以上、写真は視点の問題でしかなく、従って生活を最早超えられないのである。森山大道が写したいものが遂に世界中の「大阪」であれ何であれ、写真はもう死んだ。名前と物語だけが生きている。
    • とは言え、死ぬとは普遍的になることである。技芸ではなく、学に基づく技術によって、抽象化された欲望であるところの死として、遍在する。それを個別的な技芸へともたらすことは、技術によっては、技術を根拠としては、最早できないだけのことである。
  • 空間を広げ、占めること。意味によってでなく支配すること。専制ではないが民主制でもない、或るアルケー。人間は見ることを欲するが、それを意味を欲することとすり替えることで経済が、更に言えば文化と自己が生じる。色彩から、意味でない方へ。つまりそれは空間へ。桑山忠明という名前が複数の歩みとなる仕方で/場所で。
  • 或いは杉本博司の様に、写真を擬装しながら、写真でない空間を拓くこと。意味を擬装しつつ意味でない広がりを保つこと、つまり、生存すること。

...dans la logique du sens.