2011-01-01から1年間の記事一覧

CONFESSIONES --アウグスティヌスからの光景--

アウグスティヌスが語り掛ける神とは、脱身体化された絶対権力者、つまり自然物への科学的巧緻をも極めた絶対統治主体そのものである(その機械的欲望を暴いたのがドゥルーズということだろうか)。現身の皇帝は即位するにも服従するにも値せず、その制度そ…

契約、制度、未来

年金だとか、そういうことを考えるのは嫌いなのだが、違和感を記録して解放されるために。 公的年金は、契約に基づくものではない。それは制度であり、従って統治に基づいており、統治の都合でどうにでも変わってしまうものだ。制度を信用するのは自由だ、信…

古代の銅像について・I

ローマで見た銅像が、何かを書かせようとするのだが、何を書けばいいのか、皆目見当がつかずに日を過ごしている。ローマ国立博物館マッシモ館(Museo Nazionale Romano, Palazzo Massimo alle Terme: 通常マッシモ宮)に展示されている拳闘士は、2000年を経…

ソクラテスからへーゲルへ、或いは哲学と秩序=権力を和解させる為の長い道程

イデオロギー批判として、ソクラテスはプラトンもアリストテレスも簡単にぶち抜いている。 哲学史とは、言語=意味空間の秩序=権力を粉砕する問いの破壊力を、如何にして当の破壊するものの防御に利用するかという営みに他ならぬのではないか。 つまり、意味…

森山大道と桑山忠明@国立国際美術館

写真のtechnology orientedなところによって、写真は時間性、時代性の中にある。そして、写す限りにおいて意味し、意味され続ける。容易に無限に撮影することができる以上、写真は視点の問題でしかなく、従って生活を最早超えられないのである。森山大道が写…

愛宕、陽物、灯篭

私は別に、史実的ないしは民俗的の話をしようというのではない、単にお伽噺、或いは父祖の言い方に倣えば話の話に過ぎない。歴史は常に色々の事情を考慮せねばならないから。 愛宕さんの灯篭は山城、丹波辺にはどこの街道筋にも見られるものである。そして、…

デリダ『精神について −ハイデッガーと問い−』

死が誕生より以前に、「より後」が「より前」以前にやって来るということを聴き取るためには、まさしく、時間のより根源的な本質に接近しなければならない。少なくともアリストテレス以来、われわれの表象を支配しているあの時間解釈「以前に」立ち帰らなけ…

砂、水、土

砂は、光と風があれば生じる。 泥は、水があれば生じる。 しかし土は、生命なくしては生じない。 生命は、光と風と水から生じるが、 光と風と水は、土を奪い去る。 山々と谷と浜辺では、常にそれらのことが生じている。