大峯奥駈(逆峰)3日目(2009/05/01)楊子ヶ宿小屋〜行仙宿小屋

楊子ノ宿(04:01)=>孔雀岳(05:38)=>釈迦ヶ岳(07:07)=>深仙ノ宿(07:40)=>太古の辻(08:03)=>平治ノ宿(13:31)=>行仙岳(16:45)=>行仙宿(17:06)


3時前に小屋の外の物音で目が覚める。トレイルランの人(トランスジャパンアルプスレースの規定では山小屋は使ってはいけない様なので、それを意識してかツェルトで寝た様だった)が撤収して3時頃に出発していった。
私も4時に出発する。最初はヘッドライトが必要だったが、4時半過ぎにはもう薄明るくなっていた。仏生ヶ岳の西斜面をトラバースしていると釈迦ヶ岳が黎明の中に浮かび上がってきた。

トラバース(といっても樹林の中だが)を終えて稜線に出ると、早朝と言うこともあってしっとりした良い感じである。所々に小さな草の空き地もあって、テントが張られているところもあった。私自身は水場のないところでテントを張るのは、よほどの必要がない限りは避けたいと感じてしまう、まだまだ修行が足りない様だ。


楊子の小屋で会ったパーティの話の通り、孔雀岳の手前の鳥の水は問題なく出ていた。孔雀岳を過ぎると稜線は急峻になり、岩峰が群立する岩の大舞台である。

特に重い荷物だと振られてバランスが取りにくくなる箇所や鎖場も多くなかなか進まない。道が一旦稜線を離れて岩の下に降りているところで休憩する。

とはいえ、それほど無茶苦茶な難所はなく、慎重に進んで不意と釈迦ヶ岳山頂に出る。昨日通過した弥山・八経ヶ岳があんなに遠い。一方、南は余り見たことがない所為もあってはっきりしない。

大峰では山頂に錫杖(実用的なものではなく、記号として)が突き立ててあるのは普通なので驚くことはないが、巨大な釈迦牟尼仏像が聳えているのはなかなかに凄い光景である。

この像、光背を含めると高さ4mぐらいはあるのではないだろうか。台座を含めた全高は…いやはや。山頂では昨日小屋で一緒だった方がそのまま下山するところだった。途中で抜かれたのでかなり悔しいものがあったのだが、聞くと小屋に荷物を置いてピストンしているとのことで、まあ仕方ないかと思う。
深仙宿へと下り始める。こちらは広い笹の斜面を降りてゆくのであっけないほどあっさりと降りられる。途中、単独の2人と擦れ違う。


深仙の宿は何とも不思議な感じのするところで、両側の釈迦ヶ岳、大日岳共に岩の聳える仙境である。

どうもそれぞれに名前がある様なのだが、予備知識のない私には同定できなかった。それでも、神仙思想的な雰囲気がひしひしと感じられる不思議な所である。密教と自然崇拝の結合と言われる修験道における、ミッシングリンクとしての神仙思想ということが感ぜられた。
まあ、それはそれとして先に進む。大日岳は岩場の行場だということで、縦走路からは外れているのでパス。とはいえ、いずれ前鬼から登ってみたい。


大日岳の脇を通り過ぎて少し下ると太古の辻へ出る。遂に此処から南奥駈道に入る。

新緑にはまだ早く、日差しが降り注ぐ炎天下の広い稜線を淡々と行く。天狗山山頂で休憩中のご夫婦と、池原から登ってきたという人に地蔵岳の辺りで擦れ違った以外は誰にも会わない。地蔵岳からは遙かに笠捨山(?)が望める。

そして、道は忠実に稜線を行くので、登っては降りを繰り返す。昨日小屋で同じだったパーティの方が、一つ一つの峰を修行だと思って噛み締めながら登ると味わい深いものがあると言っていたが、そういう境地でもなければなかなか大変である。


午後になって、ようやく持経ノ宿に到着。林道を上がって来たらしい方が小屋の中でお昼を食べていた。そのまま次の鞍部(タワ)にある平治ノ宿を目指す。
平治ノ宿の小屋にザックを置いて、水場へ降りて水を汲む。ここの水場への道はかなり急なので気を遣う。小屋の前で足を投げ出して少し休憩し、大分足が疲れているが時間があるのでなんとか行仙宿の小屋まで行こうと決める。


倶利伽羅岳からの下りで、吉野以来久し振りの植林に沿って歩いていると、山仕事の3人に呼び止められる。何処から来たと聞かれたのだが、小屋とかは全然知らない様で、仕方なく吉野から歩いてきたと言うと唖然としてまあ休憩して行けやと言う。
地元(下北山)の人でも、この稜線に道があることは知らない(というか、何の道か知らない、奥駈けという言葉も知らない)人がいるというのは少々驚きだったが、冷静に考えれば、山林の仕事上必要な知識ではないのだから知らなくて当然ではある。そして、この辺りは谷間が生活の中心で、谷の繋がりを行き来しているので、稜線の繋がりを行き来すると云うことも想像の埒外にある様だった(まあこれも当然だが)。出来れば明日中に本宮に着きたいと言うと、絶対無理と言われる。
色々な意味で経験になった。


脚を引き摺りながら行仙岳を越えて行仙宿の小屋に到着。小屋はかなり大きい。戸を開けると中央に囲炉裏があって、中には4人いた。高齢の方が小屋を建てて管理している新宮山彦ぐるーぷのメンバーで、GW中の管理に来られているとのことだった。後の3人は私と同年代から少し上で、いずれも南から歩いてきたとのことだった。
小屋番の方がウィスキーを注いで下さり、早速私もささやかな宴会に加わった。新宮山彦ぐるーぷは太古の辻以南の南奥駈け道を文字通り刈り開き、小屋を建てて維持している団体で、この活動がなければ南奥駈けは今なお人跡未踏であったろう。直接話を伺ってますます頭の下がる思いであった。
色々と話が弾み、夜の9時頃に就寝。明日は予定では玉置山だが、ここまで進んできている以上、何とか本宮に着きたいと思う。