意匠の充溢/神の生産

朝、新大阪駅で猫と待ち合わせて、300系のぞみで一路東へ。南アルプスの白い峰やくっきりと聳える富士山を眺めて、気がつくと品川手前の大きな屈曲を経て品川そして東京。
山手線、銀座線と乗り換えて浅草。松屋の地下でお弁当を調えて、東武が誇るスペーシアに乗り込む。経年を感じさせるものの良い列車である。だが、最も驚くべきはその英語アナウンスである、或いは日本語イントネーション丸出しの発音の方が外国人受けするのだろうか、良く分からない。

まずは隅田川を渡って北千住から荒川を越え、東武動物公園を過ぎても広漠たる住宅街が続く。やがて利根川を渡り、畑と荒れ地と林の漠々たる広がりが次第に山間の趣を見せ始めて下今市到着。雨こそ降っていないものの天候は良くない。接続列車に乗り換えてすぐに東武日光駅に到着。


バスに乗り継いで表参道前で降りると杉並木が迎えてくれる。

左手に見えてくる五重塔が既にして装飾過剰である。


拝観券のチェックは表門でしているが、この彩色の横溢にレアリテが刮ぎ落とされてゆく。

詰め込まれた意匠はどれも伝統的な日本の文様だが、ここまでの彩色と密度に於いてはそれらが普段見せている様相から離れてしまっている。浮き彫りもまた、殆ど独立した彫刻として建築から飛び出してしまっている。


厩に猿が描かれるのは文化的伝統なので驚くことはないが、彫られている猿がどうもニホンザルとテナガザルの二種類に渡っている様である。

そして、個人的には猿よりも軒に施された巨大な菊の浮き彫りが東照宮らしく素晴らしいものに思われる。ゴシック教会の装飾の様でもある。
とまあ、一々書くと切りがないが、水舎も何とも独特なもので、磨き上げた石柱の先端に分厚く黄金の金具を嵌め、そこへ執拗に文様を刻み込む。梁にも浮き彫りを刻み、その上の欄間に嵌め込まれた水流は群青と金の渦を巻いて空間の中に突出している。


銅の鳥居の先に石垣と灯籠が並ぶ。

その先にあるのが陽明門である。

写真には撮ったが、潰れて細部の文様は分からないのが残念である。どのガイドも熱心にこの装飾の一つ一つを説明していくが、どれか一つを見ようとしても周囲の文様と融け合ってしまうので余り意味がない様にも思う(学術的には価値があるだろうが、そんな説明を求める人はいまい)。かような、装飾の重みで潰れそうな建築は大変重苦しそうに感じられる筈だが、しかしけしてそうは見えない。むしろ、装飾がそれ自身の緻密さと華麗さでもって空間の中に自立しているが故に、陽明門自体が空中に浮いている様に見える。そういった滑稽に近い感覚が否定できない不可思議さがある。そう、ここは神の家なのだ。

しかし、何故斯様な過剰さが必要だったのか、日本文化と呼ばれるものは一般的にはそうではないと考えられているだけに、それは意味のある問いの様に思われる。彦根屏風やその他の風俗図を見ても当時は文様の過剰な充溢の時代だったと想像されるが、それが此処でかくも炸裂せねばならなかったのは何故か(これはもう一つの問い、何故方広寺の大仏が建てられたのか、という問いにも私の中で繋がっている)。

そして、龍やら唐獅子やら人物やらばかりが注目されるが、菊に牡丹、七宝繋、工字繋に輪違、唐草市松亀甲とありとあらゆる意匠が最高の技でもって注ぎ込まれており、伝統意匠の典型の宝庫とも言える。



門の両側の浮き彫りはほとんど独立した彫刻であって、桃山の花鳥画が左右に連綿と連なる様は圧巻である。鳥、無数の鳥、人界を越えてゆく使者。


奥宮への手前にある、有名な眠り猫。


奥宮への門の七宝の釘隠が実に素晴らしい。

城郭建築の石材技術を駆使した見事な石段が続く。

奥宮の装飾は黒漆で引き締めた感じが重厚で力強い印象を与える。少なくとも過剰な充溢感はここでは抑えられている。


唐門とその巡廊は修復中だった。

拝殿は将軍着座の間の板戸浮き彫りがこれまた素晴らしい。そして、狩野派の絵画はこれらの建築意匠の一部として見るのが正しいということが大変に良く分かる。実際、伝説的な左甚五郎以外の工匠の名が残らなかったことは不思議である。彫ることと描くこと、更には書くこととの差異或いは格差ということ。
しかし、創作に於ける感覚の充溢と比べて、四百年の後に名が残ることに何の意味があろう。死後へ続く遅延、其処には神の権力が行使される余地がある。神とは無限に遅延せんとする者の謂である。



東照宮東照大権現、つまり東の新しい神を祀る。それは西の古い神に対抗しつつ、そこからの自立を企図した神である。西の権威の授ける位階によって位置づけられるのではなく、それ自身の力でもって位階を授けずにはおれぬように自らを確立すること。つまり古い神との比較において新しい神を創出すること、この比較に基礎づけられた創造、という出自にこそ、圧倒的な過剰、つまり凌駕せんとする意志の源泉があるのではないか。
新しい神の創造に於いて、あらゆる意匠を際限なく動員すること。その意味に於いて日光東照宮はその後の新興宗教のデザイン戦術を先取りしており、且つ最も徹底していた。そして、その過剰こそが神の存在を担保するが故に、常に既に陳腐化を免れ得ない過剰を、更なる過剰によって保持できなくなればやがては消失して古い神へと回収される運命にあった。


古い神は過剰ではなく、遅延と反復を保持している。つまりそれは古いが「常に既に」である。