Montes Altissimi ~いと深き山々~ 8/23: 立山室堂〜五色ヶ原

きたぐに」は満席で、ほとんど眠れなかった。04:30富山着、05:44の立山行き急行に乗る。雨こそ降ってはいないものの、何時降ってもおかしくない曇天である。

立山駅からケーブルを乗り継いで美女平でバスを待つ、駅員がザックを一瞥して10kg以上は超過料金だと言う。標高977m、既に雨が降っている。原生林の中をバスは右往左往しながら登ってゆく。朝早いだけあって、ほとんどが登山客。やがて森林限界を超えて降りしきる雨の中を室堂のターミナルに到着する。暗く広い構内で雨具を着込み、登山届を出し、軽く柔軟体操をして、階段を上って出口へ。

暗く沈んだ室堂平の先は、立山の斜面が立ち上がる辺りで灰色い雲に覆われている。昔、中学の修学旅行で来た時も立山は見えなかったような気がする。今日の予定は五色が原までだが、余り外に出たくない気もする。昨日はほとんど寝ていないので、このまま上のホテル立山でぬくぬくと寝てしまいたい欲求に駆られる。とはいえ、ぺらぺらの透明なビニール雨具にスニーカーの観光客が元気に外へ出て行く。雨が降ることは天気予報から想定していたので、諦めて出発することにする。08:30。


出口のすぐ先に玉殿の湧水(名水百選)があり、そこで水を汲む。ザックは水抜きで 16.5kgくらいだったので、18kg以上はあるだろう。努めてゆっくりと浄土山へと向かう。視界は良くないが、先に1パーティが進んでいるのが見える。霧が掌を流れると切れるように冷たい。何処が山頂か良く分からないままに浄土山を過ぎ、富山大学の研究室を巡って、道が判別できずそのまま龍王岳へ直登してしまいそうになるが、10m程で気付いて斜面を下る。霧雨の中を雷鳥はのんびりと散歩している、可愛らしいが、何処となく馬鹿にされているようにも思う。実際、馬鹿にされるに相応しい振る舞いをしている訳だが。なんてことはない道だが、それでも鉄梯子やらロープやらを何箇所か通り過ぎる。
8 月というのに寒いし、視界がないので自分がどれだけ進んでいるという実感もなく、淡々と進む。龍王岳に鬼岳に獅子岳と、段々立山の浄土を離れてゆく気がする。やがてザラ峠への九十九折を下ってゆく頃になって少し視界が回復し、峠の辺りで休んでいる人が見える。だがなかなか着かない。世の中難行苦行、焦っても仕方がないと念じつつザラ峠に降り立つ。12:30。


五色ヶ原までもう少しなので、休憩しているパーティを追い越して先を急ぐ。ひとしきり登り切ると、左手が一気に開ける。

なだらかな草原、気がつくと雨は上がり、霧が草原の端を微かに見せるまでに薄らいでいた。木道が起伏を越えて伸びている、その上をことことと音を立てながら歩いていくのは心地良い、たとえ今にも再び雨に濡れそうな時でも。木道は二手に分かれ、一方は山小屋へ、もう一方はキャンプ地へと続いていた。一面の緑に、時期を遅れた花々が咲いているが、細流が緑を裂いている処では、剥き出しの岩の積み重なりがこの土地の荒々しさを物語っていた。

五色ヶ原のキャンプ地はトイレと水場はきちんとしていたが、まだ誰もいなかった。山小屋からのもう一本と合流した木道が、草原の端を越えて黒部の渓へと下っていくのが見えた。だがいずれにしても再び雨が降る前にテントを張り終えてしまうべきだった。急いでテント(プロモンテVL-22)を張り終え、一休みしていると女性二人のパーティが到着した。私と同様に室堂から出発して薬師岳を越え、そのまま折立に降りるらしい。私が雲ノ平を経て新穂高まで行くというと目を丸くしていた。
その後、山小屋まで散歩して幕営の手続きをし、そのままとことこと戻ってくる。あちこちにチングルマの綿毛が広がっていた、晴れた日に何泊かのんびりしたい場所だなと思う。
しかし、地の果ての過酷な環境に咲き乱れる花花。花園とは剥き出しの世界の被膜であり、その花弁は生命の突端なのだ。

何となく高地スコットランドに来たような雰囲気もするし、時間軸がねじ曲がって何時でもない何処かに辿り着いたような気もする。雨は時折ぱらぱらと降る、ラジオによれば明日も天気は良くないようだ。夕食は大阪駅いかりスーパーで買ったカンパーニュとミモレットフリーズドライのスープ。赤ワインが欲しくなる。
いや、何も不満はない。問題は明日以降の天気だけだ。シュラフカバーの中に寝袋を押し込んで、更にその中に自分自身を突っ込んで横になる。



カシミール3Dにて作成)