in logic

論理は私を私のまま他者にしてゆく。非–現前化、媒質化された他者が論理である。結局は判断の出来事である私は、論理によって連続体となりゆく。そのような連続体が相互に現前する、これが世間であるが、あくまで論理空間であって、身体が動くところの時間ではない。
つまり、世間は身体のリアルではない。したがって、未だ既に身体でないもの、死者と王も正当な仕方でもって相互現前する。それゆえ世間は法の場である。